大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)518号 判決 1977年10月07日

原告 株式会社谷工務店

右代表者代表取締役 谷磯喜

右訴訟代理人弁護士 清水敦

被告 大東京火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 秋田金一

右訴訟代理人弁護士 児玉憲夫

右訴訟復代理人弁護士 石川寛俊

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は全部原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告は、原告に対し、金二七〇万円およびこれに対する昭和五一年七月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  原告(被保険者)は被告(大阪支店扱)との間に、昭和四七年二月一九日、原告所有の普通貨物自動車(登録番号大阪四一ぬ六五二三号)を保険の目的として、期間を一か年とする自動車保険契約(証券番号八三六二―二五一八四号)を締結した。

二  ところが、右保険契約期間である昭和四七年五月一四日午前八時五五分頃、訴外西川不二雄が右保険の目的である本件自動車を運転中、奈良県生駒郡斑鳩町高安一〇七の一先路上において、脱輪・横転事故をおこし、助手席に同乗していた訴外宮下利明が負傷した。

訴外宮下は、本件自動車の保有者である原告に対し、この事故は訴外西川の過失にもとづくものであるから、同事故に起因する損害賠償金として、金四二六万七六〇四円およびこれに対する昭和四七年五月一五日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとして、昭和五〇年一月七日大阪地方裁判所に訴を提起し、同裁判所昭和五〇年(ワ)第一八号事件として係属した。

そこで、原告は右事故の被害者である訴外宮下利明との間で、昭和五一年六月一日右事故による一切の損害賠償金として金二七〇万円を支払うことで和解が成立し、右和解にもとづき原告は訴外宮下に昭和五一年七月一日右金額を支払った。

三  よって、原告は被告に対し、前記保険契約にもとづき原告が訴外宮下に支払った金員およびこれに対する右支払日より完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因に対する被告の答弁

一  第一項の事実は認める。

二  第二項のうち、訴外西川が保険の目的である自動車を運転中、原告主張の日時、場所において事故を惹起したことは認めるが、事故の態様は不知。

訴外宮下が原告主張のとおり損害賠償請求の訴を提起し、大阪地方裁判所で審理中であることは認める。

第四被告の主張

一  原、被告間の本件保険契約の内容である自動車普通保険約款(昭和四〇年一〇月一日施行)第二章賠償責任条項第三条には、「当会社は被保険者が下記各号の賠償責任を負担することによって被る損害を填補する責に任じない。……(4)被保険者の業務に従事中の使用人に対するその使用人の生命または身体を害したことに起因する賠償責任。たゞし使用人の業務が家事である場合を除く。」と規定(以下免責条項という)されている。

二  ところで本件加害車両を運転していた訴外西川および被害者である訴外宮下は、いずれも本職は大工であるが、仕事がなかったので、本件事故の半年前にあたる昭和四六年一二月頃から原告会社に土方として勤務し、原告会社が請負った工事現場で土方として働いていた。同訴外人らは一か月のうち二六ないし二七日原告会社に勤務し、事故当時は毎朝門真にある原告会社の倉庫へ出勤し、道具を積み込み、原告所有車で作業現場に行き、通常午后五時まで作業し再び倉庫に戻るという勤務状態で、本件事故のときも平常どおり原告会社の倉庫に出勤し、原告会社の指示によって奈良県内の斑鳩町安堵村の変電所工事の現場に行く途中であった。原告会社から同人らに対する給与の支払方法は日給制で、訴外西川は一日四一〇〇円ないし四二〇〇円、同宮下は四五〇〇円と定額化されており、しかも午後五時以降の稼働に対しては残業手当も支給されていた。訴外人らは、原告会社が請負った工事現場での作業遂行に関して何らの経費・材料も負担せず、専ら労働力のみを提供する土方として、原告会社の指揮監督に服していたもので、他の仕事をするには原告会社の許可を得る必要があった。

訴外人らの作業に必要な経費(車代、道具等)はすべて原告会社の負担に属し、訴外人らはその出勤日数ならびに労働時間に対して給料の支払を受けるもので、専ら原告会社の作業に従事して働くことによって給料を得る労働者であった。

三  このような原告会社と右訴外人の勤務状況よりすると、右訴外人らは被保険者である原告会社と直接雇用関係にあり、原告会社によって直接的な指揮監督をうける間柄にあったもので、前記約款に規定する「使用人」であるといわねばならない。同約款にいわゆる「使用人」とは請負関係にある者を含まないとされているが(大阪地裁昭和五〇年三月二八日判決)、本件訴外人らにはかゝる請負関係がなかったことは明白である。

四  本約款の免責条項が設けられた趣旨は、使用者と使用人との間には、通常の対第三者との関係にあるような経済的独立性はなく、密接な身分的・経済的関係が存在することから、事故による損害賠償についてもその雇用関係の枠内で処理すべきであり、あわせて労災保険制度との重複を避けることにある。これを社会経済的にみれば、損害を与えた者と損害を受けた者が同一人格として評価されうる場合には、損害賠償保険としては免責の対象としたことになる。

本件における加害者は原告会社であり、被害者は訴外宮下であるところ、前記事実に照してみると、訴外宮下は専属的に原告会社の業務に従事してその指揮監督に服するものであり、原告会社の使用人としてその経済活動の一部をなしている。とすれば原告会社と訴外宮下は社会経済的には同一人格内に属するものであって、右免責制度の本来的趣旨に沿う関係にあったといえる。従って本件事故は右免責条項に該当するものであり、被告会社に損害填補の義務はない。

第五被告の主張に対する原告の反論

一  訴外宮下は、当時原告会社の専属的下請業者であった訴外神崎組の一員として稼働していた訴外西川の紹介により、昭和四七年二月頃「本職は大工であるが、今後土木関係の仕事をしたいので、請取りで仕事させて欲しい」と言ってきたので、原告会社はその下請の仕組みを説明したうえで、これを了承し、以後仕事をさせることとした。その際仕事の関係上自動車は必ず必要であるが、訴外宮下はこれを所有していなかったので、原告会社所有の本件自動車を貸与することゝした。

二  原告会社は、NK式蒸発散浄化槽の建設等の工事を行なう会社で、元請業者である訴外三金建材工事、同増田水道工業所等から下請として仕事をもらい、その一部をさらに原告会社の下請である神崎組、中島組、中谷組等に外注していたのであるが、昭和四七年二月頃から訴外宮下を一つの組として扱い、佐野毛晒工場や、信田山老人ホーム等の各現場、本件事故の二・三日前からは安堵村変電所の現場を請負わせていた。

三  原告会社が下請業者にある仕事を依頼(外注)する場合の請負代金は、NK式蒸発散浄化槽価格表のうちの「施行手間並びに運送経費」欄の金額に基づいて決定される(但しこの価格表は昭和四九、五〇年度のもので、本件事故当時のものではないから、昭和四七年度当時の価格は五〇年度の価格のおよそ半額である)。例えば昭和五〇年度であれば、五人槽(これは仕事の大きさを現わす単位で、五人役ともいう)の仕事であれば、下請の請負代金は運送経費を含めていくらと決まっており、右代金と他の工事、原材料費を含めた施行価格(これが工事価格である)と販売価格の差額が原告会社の粗利益となる。而して、原告会社の事務職員等の従業員の給与は右粗利益の中から支給することになるが、訴外宮下等下請業者への支払金は前述のとおり請負代金として、工事価格の中に組込まれているのである。

訴外宮下が、本件事故発生時に従事していた現場は、安堵村変電所の工事であるが、この工事は原告会社が訴外三金建材工事から金二三万円で請負ったものを、五人槽の工事として約五万円(前述のとおり昭和四七年度の価格表がないため正確な金額は不明であるが、昭和五〇年度の約二分の一)で請負わせたものである(甲第三号証の工事原価は請負代金その他すべての原材料費等を含んだもので、前記「施行価格」に当り、「工事利益」は原告会社の粗利益を意味する。)。

そして訴外宮下に支払われる金額は一つの現場について言えば一定しており、たとえ予定工事期間内に工事が完成しても、逆に予定工事期間を越えても当初の五人槽に相当する金額が支払われることになる。

四  請負った仕事に対する代金の支払は毎月一五日と月末で仕切ったうえ、出来高に応じて清算するのであるが、その明細は甲第四号証のとおりである。なお一工事に二以上の下請業者が関係している場合もあるが、これは元々ある者が原告会社から下請したが、その業者の人員の関係で、他の暇な業者に応援を求め、業者間で相互に助け合って工事を進めている場合である。そこでその代金は本来なら原告会社から請負った業者が一括して支払を受け、その者から応援者に対して支払うべきところであるが、直接請負った者からの依頼に基づき、原告会社が直接応援者に支払って支払手続を簡略化していた。さらに支払方法について言えば、計算の便宜上「出面」(実際に現場に顔を出すという意味)を一応の目安として計算書を作成して支払っていたが、その総合計は工期の長短に拘りなく、あくまでも前記価格表の金額と同額であり、これを超えることもなければ下ることもない。

また右計算書では残業名目で支払額を増額しているが、これは請負代金の総額との関係から調整するために、便宜上残業名目で計上しているに過ぎず、通常の残業勤務の如く午后五時以降の時間外労働を意味するものではない。

五  被告は、訴外宮下らが毎朝原告会社の倉庫(門真)に出勤していたというが、倉庫に出向いた理由は自動車および道具類の関係であって、原告会社に雇用されていたがために出勤したというものではない。当時の原告会社の従業員は、経営者である社長の谷磯喜、現場責任者として山北管雄(運転者を兼ねる)、岡崎直喜、北本善通、山中昌雄、経理担当者として谷偕栄、一般事務員として竹村フミエの計七名で、現場作業員はすべて下請業者の関係であった。このように、訴外西川は神崎組の使用人であり、原告会社と訴外宮下の関係は、元請・下請の関係にあったもので、原告会社に従業員または臨時雇として勤務していたものではないから、被告は前記約款により免責されない。

六  大阪地方裁判所昭和五〇年三月二八日判決は、つぎのように説示している。即ち、自動車対人賠償責任保険制度は、今日においては自動車事故によって生ずる被保険者の財産上の損害を填補するという保険契約本来の目的を果すのみにとゞまらず、保険契約の第三者である自動車事故の被害者の損害を結果的に填補し、被害者を救済するという社会的機能をも営んでいるものであるから、本件免責条項のような免責約款の解釈にあたっては、その約款の設けられた趣旨および保険制度の社会的機能に照らし、その文言をみだりに拡張して解釈すべきでなく、むしろ、その文理に従い限定して厳格に解釈すべきである。そして、本件免責条項が設けられた趣旨は、使用者と使用人との間には通常の対第三者との関係以上の密接な身分的、経済的関係が存在することから、事故による損害賠償についても、使用者・使用人間の雇用関係の枠内でこれを処理すべきものとするにある。従って、右の保険制度の目的、社会的機能、本件免責条項の設けられた趣旨から考えると、本条項にいう「使用人」とは、被保険者と直接の雇用関係がある場合のみを指称するものと解すべきであって、被保険者の業務に殆んど専属的に従事し、業務執行上は実質的に被保険者の指揮、監督に服する者であっても、本来の従業員とは異別の身分的、経済的待遇が与えられている場合には、被保険者と直接の雇用関係が存在するとは認められないから、本件免責条項にいう「使用人」には該当しないものというべきである。

七  そこで本件についてみると、訴外西川、同宮下はともに大工を本業としていたが、昭和四七年一月頃、訴外西川は大工仕事がなかったことから、原告会社の専属的下請業者である神崎組の一員として原告会社の仕事に従事するようになった。一方訴外宮下は同年二月頃、訴外西川の紹介により、同じく大工仕事がなかったことから、請取りによる土木工事を原告会社からもらうようになり、以来本件事故までの間、宮下は独立した宮下組として、西川は神崎組の一員として原告会社の工事現場において作業に従事していたこと、宮下と原告会社の請取りの条件は材料、工具類、貨物自動車等一切を原告会社が提供し、請負代金は仕事量に応じて出来高払いとし(但し、請負代金総額は予め計算された甲第二、第三号証の表により決定される)、これを毎月一五日と月末の二回に仕切ったうえ精算する方式を採っていた。而して原告会社は右仕切日に現場からの報告に基づき訴外人らに対し請取り金額を支払っていた(訴外西川については神崎組に代って原告会社が支払っていた)が、これは原告会社の本来の従業員(社員)に対する給与の支払という性質を有するものではなく、あくまでも請取り金額の内払たる性格のものである。

このことは、原告会社本来の従業員が月一回の給料日に月給の支払をうけ、これから社会保険料を控除、所得税の源泉徴収をし、さらに夏期、冬期の賞与も支給されているが、訴外宮下、同西川に対する支払にあっては甲第九号証の一ないし五のとおりで、社会保険の控除も所得税の源泉徴収もなく、賞与は皆無であり、両者の経済的・身分的地位が全く別異のものであることからも明らかである。また訴外人らに対する支払は当初の請負代金を超えることはなく、作業時間は一定しておらず、工期または作業工程の関係上制約を受けることがあるに過ぎず、原告会社への出勤は必要でないし、出社・退社時間の拘束もない。訴外人らが原告会社の倉庫に立寄っていたのは工事材料、工具類を置いてあったので、これらを作業現場に運搬する必要等からであって、いわゆる出社のためではない。原告会社の下請としてその工事に従事する以上完全な自由はあり得ず、下請といえども工期、工程の関係上、ある程度原告の指揮、監督に服することがあるのは当然のことであり、これに関連して下請といえども自由に当該作業現場を離れることは許されず、工期、工程上特に支障がなければその旨申出て他の現場へ行くことは一向に差支えないのである訴外人らは、甲第九号証の一ないし五の記載内容については、支払金額の算出に関する原告会社の精算方法を理解していないことから文字通りの説明しかできず、単に原告会社から金銭の交付を受けていた事実のみから、原告会社に日給で勤めていたと証言しているに過ぎず、その実体は前述のとおりであった。

八  そこでこれらの諸事情を考え合せると、原告会社と訴外宮下、西川らとの関係は、いわゆる元請、孫請(またはその一員)の関係に過ぎず、両者の間に直接的雇用契約を締結した事実はなく、原告会社の本来の従業員とは異別の経済的・身分的待遇を与えられていたものであるから、右両者の間には雇用関係は存在せず、従って本免責条項にいう「使用人」にも該当しないものといえる。

なお、本件免責条項と労災関係保険とは、その制度の趣旨から必ずしも全面的に排他的、択一的関係にあるとは言えないから、訴外宮下につき労災保険の交付があったからといって、本件免責条項が適用されるものではない。

よって、被告の免責の主張は理由のないものである。

証拠《省略》

理由

一  請求原因第一項の事実および第二項のうち訴外西川が保険の目的である車両を運転中、その主張日時、場所において事故を惹起したこと、訴外宮下が原告主張のとおり損害賠償請求の訴を提起し大阪地方裁判所に係属したこと、被告主張の自動車普通保険約款に前記免責条項が存在することはいずれも当事者間に争いがない。また《証拠省略》によると、本件事故は訴外宮下利明と同西川不二雄の二人が、原告会社代表者の指示に従い、原告会社が三金建材工事より請負った安堵変電所の土方工事をするため、門真にある原告会社の倉庫に寄り、ここから本件自動車に右工事に必要な材料、道具類を積込んだうえ、斑鳩町安堵の工事現場に行く途中に発生したものであることが認められる。

二  つぎに、原告と訴外宮下利明らとの関係についてみるに、成立に争いのない甲第九号証の一ないし五、乙第二ないし乙第四号証に、証人宮下利明の証言、原告会社代表者各尋問の結果を綜合すると、つぎの事実が認められる。

昭和四七年二月頃、訴外西川不二雄が本職は大工で自動車の運転もできる訴外宮下利明を原告会社代表者谷磯喜に引き合わせたが、これは宮下に職を得させてやると共に、当時西川は自動車の運転ができなかったので、仕事先の工事現場に行くのに不便なこともあって、知合いであった宮下を紹介したものであった。

そこで、原告としては宮下に仕事の出来高でなく出勤した日数に対して、特に勤務時間を定めることはなかったが最低保障額として金四五〇〇円を支給すると決め仕事をさせることゝした。

その後、宮下は本件事故に遇うまでは殆んど毎日のように、原告会社代表者の指示に従い、原告会社所有の自動車や道具を使ってその指示先の工事現場で大工兼土方としての仕事をし、原告会社からつぎのとおり支払を受けた。

昭和四七年三月は二六日出勤して金一三万六七五円(ガソリン代四〇〇〇円を含む)

同年四月は二七日出勤して金一二万九一〇〇円(ガソリン代四〇〇〇円を含む)

同年五月は一三日までに八日間出勤分として金三万六〇〇〇円

(右支払方法は毎月一五日、月末の二回に集計して支払われ、原告の仕事に個人の車が使われたときは、原告においてガンリン代も負担していた。なお昭和四七年三月分にあっては最低保障額より九六七五円、四月分では同じく三六〇〇円だけ、それぞれ受取額が多くなっているのは、三月分では、二、三、七、八、九、一三、二二日に一五%宛の、五、六の両日に二五%宛の、二六日に六〇%の割増がついており、四月分では一一日に一五%、二一日に一〇%、二三日に五%、二七日に一〇%の割増の外、出張費名目で三〇〇円×六(一八〇〇円)が加算されているためで、これらは原告において随意決定していたもので、一々被支払者宮下と協議したり、被支払者側からの申出によって加算考慮されていたものではなかったものと認められる。)

宮下としては、この間これ以上に原告会社からは勿論、他の業者からも何らの支払も受けていない。

また宮下は原告会社の仕事がきれると後は使ってもらえないし、後々のこともあるので、原告以外の者から仕事の応援を頼まれゝば、原告会社代表者の了解を得て、これに従事することができることになってはいた(もっとも他の現場に行けばその日の日当は原告からは支給されない)が、現実には原告会社に行っている間に他の仕事をしたことはなかった。

訴外西川不二雄も、出勤時間としては特に決まっていなかったが、労務の対価は日給制で一日四一〇〇~四二〇〇円を原告会社の事務所で原告から受取っていた。この日給は同人が自動車運転免許を取得後の昭和四七年五月末頃から二〇〇~三〇〇円増額となったこと、原告会社代表者谷磯喜は西川が右免許を取得して間のない頃、西川、宮下、山中、山北(後の二名は原告の従業員であると原告が自認している)らに対し、西川は免許を取得したばかりであるから、六か月くらいはダンプを含め、貨物自動車(一般に重量かつ大型)を運転させないよう注意したことがあったこと、右谷磯喜は本件事故で西川が負傷し、二週間程度の加療予定の診断によって休業していたとき、同人に就労するよう言ったので西川としては思っていた程に静養できぬまま、これに従い稼働したこともあった。西川は原告会社に毎日行くという程ではなかったが原告の方で仕事が忙しくなると西川に連絡があるので、それを受けて仕事に出るようにしていた。

原告会社が、仕事を他の者に外注に出す場合には、材料費・経費等は通常全部原告において負担し、仕事を請ける先は全く労働力の提供のみに過ぎないものが多かったこと。この当時原告会社には事務員等常雇いの従業員の他、工事現場に行く人には臨時雇いの人や、手間賃(労賃)だけの下請(手間請け)の人達がいたこと。

三  訴外宮下が、原告会社から昭和四七年三月一日より同年五月一三日までの労務の対価(但しガソリン代八〇〇〇円を含む)として、支払をうけた額は合計二九万五七七五円であることはさきに認定したところである(前掲乙第二号証の中でも原告会社代表者谷磯喜は、前掲甲第九号証の一ないし五(別訴当庁昭和五〇年(ワ)第一八号事件では甲第一五号証の一ないし五で提出)以外には原告から宮下に支払ったものはない旨供述しており、証人宮下もこれ以外には原告から何ら支払を受けていないと明言している)が、これと《証拠省略》により、原告から宮下利明こと宮下組なる原告の下請に支払ったとされる金額とを対比してみると、いずれの月にあっても金額は一致しない。即ち、宮下組に支払われたという額の方が、現実に宮下が支払をうけておる額よりも、三月は六万九三二五円、四月は九万一九〇〇円、五月(一五日払)は二万四〇〇〇円だけいずれも多くなっている。而してこの各差額分は、右原告会社代表者の説明によれば、原告会社は独立の下請を組として扱っており、下請代金は一括してその組に支払う建前なので、宮下が使った人夫への支払分ではないかというが、証人宮下利明の証言によっても、同人は西川不二雄以外の者とは自分が頭となって仕事をしたことはうかがえない。さらに西川への支払分が宮下組なるところに入っているとみることも、右原告会社代表者の説明によっても、西川は本来宮下組とは全く別のしかも宮下組より大きい下請の神崎組常雇いの人夫であるというのであるから、西川への支払分は原告から神崎組に支払う金の中に組入れられるべきものであり、さらに《証拠省略》によると、昭和四七年三月に限っては、宮下組こと宮下利明は原告より単独で仕事を請けたものはなく、いずれの仕事も前記神崎組なる者との共同である(神崎組以外の者と仕事をしたものはない)ことが認められるところ、そうだとすれば三月分については西川への支払は神崎組への支払額に包含され(西川が独立の下請でないことは原告の自認するところである)、他に人夫を使っていたことをうかがうことのできない宮下組こと宮下利明に支払われた額は、前記認定の同人の現実受取額と一致すべき筋合であるのに、これとて依然一致をみない。なお原告会社代表者は甲第九号証の一ないし五は、下請から原告に言ってくる支払依頼書であって、原告会社の会計事務担当者が作成したものである旨説明するが、それだと三月分に該当する甲第九号証の一、二は、神崎組から宮下組に手伝ってもらって(或いはこれと共同で)仕事をしたので、これだけは神崎組を通さず、原告から直接宮下組に支払って欲しいとの依頼書となる(従って神崎組が自己が雇入れておる人夫への支給分まで他の組への支払分に含ませることは通常ない)訳であるから、愈々もって甲第四号証中の三月分宮下への支払額と一致すべきものであるのに、これが一致しないということは、甲第九号証の一ないし五は原告会社代表者の説明するような意味合いのものではなくして、まさに証人宮下利明の言う如く原告会社から宮下に渡された給与の支給明細というべきものと認めるのが相当であり、事理に合する。

また原告会社代表者尋問の結果中には、本件事故が発生した当時、訴外宮下、同西川が従事していた安堵変電所の仕事は、原告から宮下が下請したもので、宮下組自体があまり勝手のわからない軟弱な組であったので、手初めにこの現場をもたせた。この時は西川は宮下と一緒に仕事に出ており、神崎組から離れて宮下組の一員として現場に出ている。安堵変電所のときは神崎組は関係していなかったとの供述部分があるが、これらは前掲甲第四、第五号証によってみると、原告の昭和四七年五月分外注として「安堵」とあり、原告からの支払額は神崎組へ五万円、宮下組へは三〇〇〇円とあり、この外には右各書証中に「安堵」関係部分はないこと、さらに証人宮下利明の証言によれば、安堵変電所の仕事(土方工事)も原告との連絡は西川があたり、工事現場の責任者も西川で、自分はその下で働いていたということになる。工事の出来具合については、自分が責任者であったと供述し、この点では原告会社代表者尋問の結果中でも、宮下は「最初から一人で組をかまえていたのか」との問に、「最初は不慣れなので神崎組に行って習得してこいと言った」と答えている事実が認められるのであって、これらの事情に照らしてみると、安堵変電所の工事は宮下に約五万円で請負わせたとの原告の主張に副う前記安堵変電所の仕事は宮下(組)に単独で請負わせ、宮下がこの仕事に西川を人夫として使っていたかの如き供述部分はにわかに信用できない。

四  このようにみてくると、結局原告と訴外宮下との本件事故当時における関係は、宮下は日給制でしかも臨時的に原告に雇傭されていたものというべきもので、自己の責任において一定の仕事を一定の代金で一定期間内に完成することを相手方たる原告に約し、これを自己の努力で予定された期間より短時日で完成しても、当初予定された代金全額を得られ、残余の日時は他の自分の用務に振り当てられるという請負的要素を含んだ関係ではなかったものと認められる。

五  そうすると、本件事故は、本件保険契約の内容である自動車保険普通保険約款(昭和四〇年一〇月一日施行)第二章賠償責任条項第三条「当会社は、被保険者が下記各号の賠償責任を負担することによって被る損害をてん補する責に任じない。(4)被保険者の業務に従事中の使用人に対するその使用人の生命または身体を害したことに起因する賠償責任。たゞし、使用人の業務が家事である場合を除く。」のいわゆる免責条項に該当するものであるから、原告が自己の業務に従事中の自己の使用人である訴外宮下利明に本件事故による損害を賠償したからといって、その損害の填補を被告に求めることはできない。

結局原告は被告に対して保険金支払請求権を有しない訳であるから、原告の本訴請求はその余の判断に及ぶまでもなく失当として棄却を免れず、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 相瑞一雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例